8月30日の朝、母方の祖母が亡くなりました。

8月30日、母方の祖母が亡くなりました。

最後の病院に転院してからの4年間、思いのほか元気に過ごしてきた祖母でしたが、歳も95になり、ついにいってしまいました。若い頃に伴侶を戦争でなくし、以降ずっとひとりで大変な人生だったことでしょう。様々な事情から今回初喪主を務めることになりましたが、とりあえず大きな問題もなく、葬儀を終えることができました。

7月末に病院から「悪くなってきている」と連絡を貰って、8月頭に行った時は、ある程度普通に会話ができていたものの、たしかに以前のような元気はあまりないようでした。心臓の病を持っていることから、容態急変の可能性もあり、帰る時には「これで最後かも」と思いつつ帰ったものでしたが、8月20日過ぎに再度病院から連絡をいただいたおかげで、最期も看取ることができました。意識状態が低下してからは、元気づけることも出来ないので、単なる自己満足なのかも知れませんが、きちんと送ることができてホッとしています。

もともと、病院からの連絡を貰ってすぐ26日(月)27日(火)の2泊で宿泊予約をしたものの、事態が重そうなので予定を1日はやめて24日(土)の夜に出発、新幹線で行くか迷いましたが、喪服などの準備もしていたし、赤穂のあたりは交通の便が悪いので弥七号にしました。
25日、日曜日の朝に病院に直行した時には、まだ多少の会話ができ、名前も呼んでくれましたが、翌日以降はそれも難しくなったので、1日早めたのは正解でした。やはり容態が思わしくないため、水、木と1日ずつ宿泊を延長して、面会時間以外は各種手続きを進めていましたが、30日(金)の朝、駆けつけるとほとんど呼吸ができておらず、直後に心臓も停止、手を握ると一時回復しましたがそれも数分のことで、9時31分に臨終となりました。

病院の皆さんをはじめ、明源寺のご住職、葬儀社の方、赤穂市役所の方々は何も分からない自分にとても良くしてくださり、赤穂と相生、有年を毎日毎日走り回っていましたが、とりあえず葬儀と手続を無事追えることができました。金曜に亡くなったので、役所関係の手続などは葬儀前のフライングでしたが、市役所の方は「千葉から大変でしょう」と快く応じて頂き、とても助かりました。

それにしても相生に5泊、赤穂に2泊の東横イン生活は疲れました。なにしろ枕が全然合わない。また、クルマがあったから良かったようなものの、なければ毎日コンビニ弁当になるところでした。
今回の祖母、2ヶ月前にはめぐ、そしてその2ヶ月ちょい前には祖父のように思っていた大叔父が亡くなり、数えで今年44歳という数字が悪いのか、2013年の13という数字が悪いのか、まったく忘れたい1年になってしまいました。今月20日の誕生日を機に、一気に運勢をひっくり返したいものです。

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