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西舞子で思いを馳せる

明石から海沿いを走って向かったのは西舞子。

ここには《FIESTA》という名のレストランがあり、以前みんカラのtake☆さんが紹介されていたのを見て「これは一度は行かねば」と思っていました。FIESTAの全国オフをやるとしたらここでしょうか?着いた時にはすでに13時を回っていたので、空きはじめた頃かな~と入ってみました。

店内の海側の窓はカウンター席になっており、淡路島と明石海峡大橋が望めます。カウンター席はカップル用に座席が2個セットずつ並べられ、自分のようなロンリーボーイはちょっとお呼びでない雰囲気…。とは言うもののこの景色が観たくてきたのだし、空きもあるので座ってしまいました。お昼はランチをやっていて、1100円でサラダとパン、ドリンクに主菜をパスタ、リゾット、ピザの中から選べます。

自分がこの景色を見たかったのにはワケがあります。実はこの景色こそが800年前、平清盛が最も愛した景色と言えるからなのです。
「吾妻鏡」には「入道平相国薨ず、遺言に云はく、三ヶ日より以降に葬りの儀あるべし。遺骨においては、播磨国山田の法花堂に納め、七日ごとに形のごとく佛事を修すべし」とあります。播磨国山田とは今の西舞子付近と言われ、またこの地には以前より清盛の別荘があったとされています。つまり清盛自身が、この淡路島との海峡が一望できる地を、永眠の場所として選ぶほど気に入っていたというわけです。

今現在、それらしき遺跡がなにも残っていないのは、平家都落ちの際に、一門が遺骨を掘り出して持ち去り、その時点で何もない場所になってしまったからと言われています。そう言えば以前訪れた山口県の彦島にある清盛塚には「1183年、中納言平知盛は亡き父清盛の遺骨を携えてこの彦島に入り平家最後の砦、根緒城の築城にとりかかり、砦と定めたこの丘陵の小高い場所に納骨して墓碑を建立…云々」とあり、なるほど知盛はやむにやまれず遺骨をはるばる運んできたが、彦島は西舞子のように海峡を見渡せることから、再び埋める場所として選んだのではないでしょうか。名将知盛の父への愛と、無念さが伝わってきます。正盛の時代から西海でその地位を切り開いてきた平家だけに、清盛も海に対する思い入れが人一倍大きかったものと思われます。

では山田の別荘が果たしてどこだったのか?を求めてFIESTAを出たあと、西舞子の町を走りまわってみました。地図を見る限りでは、舞子小学校、あるいは西舞子小学校のあたりがくさいとウロウロしてみたものの、なかなか車を止める場所がなく、また、見渡せるはずの海もマンションやらに遮られて良くわかりません。結局よくわからないまま、次の目的地である須磨寺に向かう事にしました。

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Categories: Travel

須磨寺 » « 薩摩守忠度の供養

3 Comments

  1. ぁあ~ここ行かれたんですね~。
    ワタシは淡路島側でならこの光景を眺めながら食事をしたことがあるのですが…
    ちなみにこのあたりは高速道路を使えば片道2時間くらいで行けます。

  2. おおお!舞子ですか。
    大学のときに住んでましたヨ。
    JRからかなりはなれてたので不便でしたがw
    でも海が近くっていいんですよねー
    明石大橋まですぐですもん。
    まだあのアパートあるのかしら。。。

  3. >>れいんさん
    このあたりは風光明媚なうえに、歴史的な場所も多くて関東人にとっては羨ましいですよ。
    じつはまた屋島に行きたいんですよ。
    >>べっちどん
    おー、羨ましい!土地勘に優れた昔の人が別荘地に選ぶくらいですから、いい場所なんですよ。須磨、塩屋…あのあたりは地名もいいですね。

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