関西旅行最終日の3日目は、奈良県葛城市にある當麻寺を訪れました。

二上山 當麻寺

當麻寺は、今回最も楽しみにしていたところで、画像のようなピーカンのお天気に、気分はすっかり急上昇、朝7時にはホテルでチェックアウトし、9時から拝観のところ8時半には到着してしまいました。いままでも気に掛かっていたお寺だったんですが、なにぶん土地勘のない場所でついつい後回しになっていました。いざ来てみると阿倍野橋から近鉄の準急で40分程度と、さほど遠くはありません。車掌さんのアナウンスの時に思ったんですが、「當麻寺」と「大マゼラン」って発音似てますね。

當麻寺の歴史は古く、7世紀に聖徳太子の異母弟がこの地にお寺を移したとか、土地の豪族だった當麻氏が、氏寺として建立したなどの説があります。
當麻寺と言えば「曼荼羅」ですが、このお寺ほどユニークなところもなかなかないのではないでしょうか。まず、前述のようにここのご本尊は仏像ではなく曼荼羅であること、それから真言宗と浄土宗の二宗で輪番管理されていること、そしてその伽藍配置です。

二上山 當麻寺

宗派に関しては、もともと三論宗だったところ、弘法大師が参籠したのをきっかけに真言宗となり、その後浄土信仰が盛んになるとともに浄土宗が入ってきて、改宗をすすめたそうですが応じず、以来2宗並立が続いているんだそうです。今年は浄土宗の担当で「法然上人800年年大遠忌!」とぶち上げているそうですが、来年から真言宗管理となって「弘法大師!」となるとか。ちなみに本文では先に入った真言宗を尊重して「曼荼羅」と表記していますが、浄土宗だと「曼陀羅」なんだそうで、當麻寺のサイトの質問箱に色々と書いてあります。

そして伽藍配置、近鉄当麻寺駅から参道を通ってたどり着く門は、南大門ではなく東門で、進んでいくと下の画像のように左手手前と奥、つまりタテに三重塔が並ぶというちょっと変わった光景を目にします。

二上山 當麻寺

少し進むと1枚目の画像のように正面に東面した本堂が見え、左側にある金堂と右側の建物の奥にある講堂は、画面向かって左、つまり南を向いて建っています。そんなわけで、當麻寺には現在の参道から東門をくぐって本堂に至る実際の参拝経路である東西の軸と、東西両塔から金堂、講堂と続く奈良時代の伽藍配置を示す南北の軸が同居しているというわけです。

お寺の方に話を伺うと、創建当初は奈良時代の正統な南北の伽藍配置で、参道も當麻寺の南にある竹内街道から両塔のまん中に向かって延びていたと言います。その後平安中期以降、末法思想の広がりとともに本堂に納められた曼荼羅への信仰が盛んになるとともに、参道も東から西へ向かってくるように変化していったとか。

これには一瞬なるほどーと思うんですが、いくつか疑問もあります。いくら参拝の流れが変わったとしても、旧参道がまったくなくなってしまうことはあるんだろうか? というのがひとつ。
それから、両塔の南側は山になっており、存在したであろう南大門に向かうには坂を下りながら旧参道を進むことになります。下りの参道は京都の泉涌寺など他にも例はあるんでしょうが、ちょっと変ではあります。

二上山 當麻寺

さらに、上の画像は講堂で階段のある面が正面ですが、見て分かるように向かって左から右へ低くなっています。法隆寺も建設前に整地されたと言われていますし、元の伽藍が南北軸だったのであれば、もう少し違和感のないように整地されいてもいいように思います。

そして何より、本堂の背後に二上山があるここの地形は、創建前より日の沈む山として信仰されてきた二上山信仰が根本にあって、そのために元から東西軸がメインであったことを表しているのではないでしょうか。南北軸の伽藍は、とにかく寺院はそういう風に建てるものだと聞いていたのでそうした…當麻氏の氏寺として恥ずかしくない構成が必要だったといったところでしょうか。まったく個人的考えでしかないのですがそんな風にも思いますし、そんなことを考えさせるのもまた、歴史を積み重ねた當麻寺の魅力のひとつなんだろうと思います。

人が少ないのもありますが、なんだか奈良のお寺は、京都とは根本的にスケールが違っていて、 とても清々しく、和んだ気持ちにさせてくれます。

下は當麻寺伽藍を空から見た様子。