曼荼羅を納めた当麻寺本堂は「曼荼羅堂」とも呼ばれています。

當麻寺 曼荼羅堂

東門を通って少し進んだあたりから見え始めるこの曼荼羅堂、朝早くに訪れたこともあって、キラキラと宝石箱のように見えます。この日の予定は、當麻寺と富田林の寺内町だったんですが、曼荼羅堂の写真を順光で撮るチャンスは朝しかないため、こちらの先に訪れることにしました。
のちの仏堂に比べたら低く、なだらかな屋根と緩やかな軒反りが軽快かつ優美な雰囲気を持ち、バランスだけで言えば唐招提寺の金堂も、鎌倉時代はこんな雰囲気だったのかな…と思ってみたり。

国宝に指定されていますので、宝石箱というよりも宝石そのものなんですが、ここに納められている曼荼羅と、それが収められている逗子(国宝)、さらに逗子を備え付けてある基壇の3つの組み合わせが放つ荘厳な世界は、もう目が眩むほどの素晴らしさです。

曼荼羅堂はありがたいことに内陣まで入ることができ、少し薄暗いんですが曼荼羅も直接拝むことができます。これじたいは当初のものではなく、3回行われた模写の2回目、室町時代の1502年のもので、年号をとって文亀本と呼ばれています。原本はやはり傷みも相当あって、現在は奈良国立博物館に収められています。
逗子は国宝に指定されていて、その装飾もさることながら造形が素晴らしく、基壇も螺鈿による装飾や、漆で描かれた木目模様などが荘厳な世界を演出、確かにこれは多くの信仰を集めて当然と思わされます。

當麻寺 曼荼羅堂

この曼荼羅堂は昭和30年代に行なわれた解体修理によって、数々の増改築を繰り返してきたことが分かりました。この解体修理には法隆寺の西岡常一棟梁も参加されたそうです。確かにここから法隆寺までは11km程度と、思いのほか近いんですね。

平安時代初期に、それまでのお堂に代わって桁行7間、梁間4間、寄せ棟造りで桧皮葺のお堂が建てられました。これじたい少なくとも2棟分の宮廷関係の住宅の古材が転用され、天平時代の古い材が確認されたそうです。間もなく前面に大きな孫庇が付けられ、内陣と外陣を区切る建具も備えられて、ちょうど室生寺の金堂のような姿になりました。
その後、平安末期の1161年に孫庇部分の外陣を撤去したうえで新たな礼堂を加え、旧内陣の身舎を取り込むようにして新たな屋根を構築、これが現在の曼荼羅堂の基本となったそうです。それでもイビツになるどころか、このような優れたたたずまいになるわけですから、当時の技術力の高さが伺えます。

當麻寺 曼荼羅堂

同じ仏教建築物でも、建立当初の姿を極力保ちつつ残るものもあれば、信仰形態の変化や技術の流れに伴って、細かく姿を変えながら残るものもあり、面白いものですね。
結局のところ、建築史や建築学的な側面からその価値を理解することは、自分にはとても難しいのですが、変遷や個性からこのお堂の背後にある1200年もの時の流れを、あれこれ妄想するのは楽しいことですし、贅沢なことだと思います。

ユニークなお寺のユニークな曼荼羅堂が、今後も多くの方たちに妄想の機会を与え続けてくれることでしょう。