富田林西口駅から近鉄電車であべの橋へと戻ります。

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あべの橋(天王寺)に出ればいくらでも食べるところはあると思って電車に乗ったんですが、ちょっと予定が早まったのと、ランチタイムをすっ飛ばしてるのとで、着いてみると多少時間に余裕があることが判明。さすがにお腹はぺこぺこなんだけども、ここは四天王寺に行ってみることに。ここもクルマだとちょっと来づらいのでいい機会です。

四天王寺の創建は1400年以上も遡る593年と、おなじ聖徳太子ゆかりの法隆寺よりも古く、お寺のルーツのひとつと言えるでしょう。現在の伽藍は昭和の再建でコンクリート製ですが、法隆寺以前の様式を再現し、四天王寺式伽藍という当時の空間を提供してくれている意味では、大変ありがたく貴重なものだと思います。

荒陵山 四天王寺

細部をよく見れば各パーツが妙に浮いてしなやかさに欠けるうえに、劣化の仕方が明らかに木造とは異なっているため、どうもしっくりこないところがあって、薬師寺のような復元の方がいいナ…とは思うのですが、とくに五重塔の歴史を考えれば、それもやむなし…というより、ここまでしてくれてありがたいとさえ感じます。

四天王寺の五重塔は、593年の創建後
・836年、落雷により焼失
・再興するも960年に焼失
・再興するも1576年、信長に放火され焼失
・1600年に秀吉が額安寺から移建するも1614年、大阪冬の陣で焼失
・1623年徳川秀忠が再興するも1801年落雷により焼失
・1812年再興するも1934年に室戸台風で倒壊
それでもめげずに7代目を1941年に再興するも、今度はわずか5年で空襲によって焼け落ちてしまいました。残された資料写真を見ると大変美しい塔だったようで、実に勿体ないことです。

1959(昭和34)年に再興された8代目が鉄筋コンクリートになったのも、大阪の都市のど真ん中で当時の消防法による縛りもありますが、「金輪際焼失は御免!」という思いがあったのもまた確かでしょう。

でも、四天王寺伽藍は伝統技術と引き換えに、飛鳥当時の見た目を手に入れました。飛鳥様式をそのまま木造で作った場合、強度不足の可能性もあるため、これはこれで最善の選択なのかもしれませんね。丸型断面の垂木による扇垂木の一軒屋根や雲肘木、人文字型蟇股、卍くずし型高欄、錣葺き屋根など独特な意匠が結構楽しませてくれます。

荒陵山 四天王寺

この日は春季彼岸会の真っ最中で、ごった返していたこともあって、図らずも地元に愛されるお寺の姿を見ることができました。考えてみれば大阪の城には天守閣もあるし、お寺には古式の伽藍が堂々と存在、しかも陰気くさい禅寺ではなくちょっと華やかな趣もあってじつにいい環境です。 大都市と言えど、こういった文化を残せる余裕は大事ですね。

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