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いざ、壇ノ浦 その十七「平等院鳳凰堂」

そしてお次は平等院のシンボル、おなじみ10円玉にも描かれている鳳凰堂だ。

いざ、壇ノ浦 その十七「平等院鳳凰堂」


平等院は、藤原頼通が1052年に兄道長から譲り受けた別荘「宇治殿」を寺に改めたのがはじまりと言われる。この年は「仏が滅んで天災が起こる」という末法思想による末法初年にあたり、阿弥陀堂(鳳凰堂)はそんな人々のために極楽浄土を現出させようと1053年に建立されたものである。

ここ数年、平等院に是非とも訪れたいと思っていたのは、この阿弥陀堂が創建当初のもの、つまり1000年近くを経た建築であることと、近年の発掘研究から、より平安当時の景観に近づけられたというのが理由だ。いかに大切に守られている文化財と言えど、最近頻発する異常気象などの天災による被害や、寂光院が記憶に新しい放火などでいつ見られなくなるか分からない。平等院に限らないが、とくに古いものに関しては早いうちに訪れて、記憶に留めたいと強く思っていた。
とにかくこの阿弥陀堂は1000年近くもの間、この場所でずっと歴史を見続けてきたのだ。その事実だけで不思議な感覚に包まれる気がする。

いざ、壇ノ浦 その十七「平等院鳳凰堂」

平成になってもっとも大きく変わったのが洲浜の部分で、1990年からの発掘研究の成果から、中島の水際がこぶし大の玉石を敷き詰めたものに改められ、また、阿字池北岸からの橋の遺構や島が見つかり、これも再現された。この整備によって阿弥陀堂がより阿字池を飛び立つ鳳凰のごとく見え、極楽浄土として崇められた様子が伝わってくるようになったと言えるだろう。ここはひとつ朱塗りも復活させて往事の極楽浄土の完全再現を試みて欲しいところ。

一方、安置される阿弥陀如来座像は平成の大修理中で、坐像自体は明治修理時に押された金箔を除去と洗浄、漆箔・剥落止め、剥落の著しい部分には金箔押し直し、木製だった白毫を水晶に戻すなどの作業が完了し、戻されていたが、天蓋、光背、台座は引き続き修理中で、現在素の坐像が拝める。(平成9年9月末完了予定)

いざ、壇ノ浦 その十七「平等院鳳凰堂」

とにかく荘厳で華麗な阿弥陀堂だが、建築家東孝光氏は自身の著書「日本人の建築空間」で、阿弥陀堂の意匠から「美しく見せるため(だけ)の仕組み」が見て取れると言う。左右にのびる翼楼の2階部分の高さが1メートルあまりと実用性に欠けていることや、屋根形状を様々に変化させていること、裳階の柱の面取りを大きくする事で細く見せていることなどから計算された美しさである事を説き「奈良時代から受け継いだ力強い彫刻的空間を、優美な絵的世界へと移行させる日本人的試みの頂点に立つもの」としている。阿弥陀堂建立の目的が、極楽浄土の現出であったための手法と言えるだろう。

写真撮るのに修学旅行生をやり過ごしていたら雨が降ってきてしまった…。

いざ、壇ノ浦 その十七「平等院鳳凰堂」


Categories: Architecture

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2 Comments

  1. 御無沙汰です。連休に「いざ、壇ノ浦」連載読破いたしました。
    ここいらは当方の実家から15分くらいで散歩コースですが、拝観料を
    払って観たのは、二十数年前です。最近はいつも、宇治川土手沿いから
    、こっそりと鳳凰堂とお庭を拝見させていただいております。
    しかし、宇治川の先陣争いの話は知っていましたが、平等院が平家物語
    の舞台であったとは知りませんでした。
    宇治は地味ながら見所多いのですが、冬の朝早くにJR鉄橋上の列車から
    観る、朝霧に包まれる宇治橋、塔の島は、千年越えて変わらぬ、多くの歌
    に読まれた、そのままの景色ではないかと思います。
    ここは、京都、奈良コースの中間点おトイレ休憩所としてその役目を
    担っているので、学生諸君が跳梁跋扈するみたいです・・・。

  2. >>shijuiはん
    shijuiはんはこのあたりだったんですかー?いいところですね。京滋バイパスができてからアクセスも良くなったので、また行きたいところです。

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