これまで4回にわたって紹介してきた當麻寺ですが、まだ楽しみがあるんです。

當麻寺 奥院


それは曼荼羅堂の西奥にある奥院と呼ばれるところです。1370年、知恩院第12代誓阿普観上人が、南北朝の戦乱を避けるために往生院を建立し、知恩院の御本尊である法然上人像を還座、知恩院の奥の院と呼ばれました。以来、浄土宗の大和本山として今日に至っているそうです。

當麻寺 奥院

奥院には楼門(江戸時代・重文)二河白道の庭を備えた大方丈(桃山時代・重文)、本堂(桃山時代・重文)、阿弥陀堂(江戸時代)がありますが、残念ながら大方丈は修復工事中でした。ほかの2つのお堂を見てみると、阿弥陀堂は改修したてなのかパリっとしていますが、本堂は軒がヨレヨレしており、大方丈に続いて修復工事に入るそうです。當麻寺に限らず、時代が下るほど修復サイクルが短くなるというのは皮肉なものですね。同じ建築技術でも、平安以前は仏様をお招きするための技術だったものが、鎌倉以降は単にお堂を建てるための技術になってしまったように感じます。

當麻寺 奥院

そして、今回曼荼羅堂や三重塔と並んでお目当てだったのが、阿弥陀堂のさらに奥にある浄土庭園です。二上山を借景にした雄大な池泉回遊式庭園は、1993年に完成したばかりのまだ若い庭園ですが、2月の枯れ木の時期のために、かえってクローズアップされた石組みが素晴らしく、まさに浄土の世界です。
これらの石は湯布院から取り寄せたもので、以前秀吉が大坂城築城の際にも取り寄せたことから「太閤石」と呼ばれているそうです。あまりの素晴らしさに、近くにいた庭師の方にどなたが作庭されたのか聞いてみたところ、中健一、一真というご兄弟だそうですが、悲しいことに、ご兄弟ともに作庭後、癌のため50代の若さで相次いで亡くなられたそうです。

帰宅後、この素晴らしい仕事を残された中兄弟を調べてみたのですが、なかなか分からず、一方で浄土庭園の作庭は「昭和の小堀遠州」と称された中根金作によるものという資料が。そこで改めて當麻寺奥院に確認してみたところ、中兄弟は中根金作氏のお弟子さんで、中根金作氏が設計したものを中兄弟が実際に施行されたということでした。もともと當麻寺奥院には庭園がありましたので、中根金作の設計によって改修された庭園ということになります。

當麻寺 奥院

春以降の花や秋の紅葉に彩られた時の浄土庭園もまたぜひ見てみたいものですが、この時期でも境内のあちこちには藁苞をかぶった牡丹の花が見られます。奥院の第58世察聞上人が大方丈の仏間の絵天井に描かれていた牡丹を仏様へのお供えにしようと、境内に植えたのが始まりだそうで、今では牡丹の名所になっています。

あまりに盛り沢山で、もうお腹いっぱいの當麻寺ですが、他にも中之坊や護念院、西南院といった塔頭もあり、とくに西南院は三重塔両塔を望める見晴し台があるほか、湖面に映る西塔を楽しめるなど、オススメです。

當麻寺、ほんとうにいいお寺でした。また吉野あたりを訪れる時か、大阪南部の観心寺や金剛寺を訪れる時にでも再訪してみたいです。あるいはもっとゆっくり時間を掛けて、石光寺などもいっしょに歩いて回るのも良いかもしれません。

當麻寺 奥院