8月15日ですね。
こんな自分でも、このところの騒ぎもあって、平和についてより考えさせられます。

「1人殺せば殺人者だが、100万人殺せば英雄だ。」
チャップリンがこんなことを言っていました。

多くの犠牲を払って、私たちの国は平和国家としての道を進むことに決めました。
二度とひとの命を奪ってはいけない。それくらいの覚悟を持って守り抜く尊い決断です。

もしあの国が攻めてきたら…、そのとき残された手段は「逃げる」のみ。
あくまで丸腰で、話し合いによる解決を探る…戦争を放棄するというのはそういうことのはずだと思います。
アメリカの「世界警察気取り」にも付き合ってはいけないのです。

力を持って抑止力とするのは、結局のところ銃社会を支持する者たちの理屈となんらかわりありません。
それに力を持った者が、傲慢になってゆくのは、政治家や、身近には性能の高い車の公道での振る舞いなどを見ても明らかで、文字通り歴史を繰り返す引き金になりかねません。

戦後ずっと守られてきた憲法も「時代に合わない」と改憲を望む声が聞かれますが、その時その時の都合に合わせてクルクル変えてしまったのでは、そもそも「憲法」にはなりません。むしろ自衛隊とて本来違憲であり、増強はおろか、人を殺める道具である武器の輸出さえも控えるのが本当ではないかと思うわけです。

平和はお気楽な生活の代名詞ではなく、努力して守っていくべきものと考えなくてはいけません。
安保法案は「国民の生命と財産を守る」といいますが、よく考えてみると、私たちの生活を直接脅かしているのは増税、国債、年金、原発…と、仮想敵国などではなく、むしろ日本政府のような気もしてきます。

日本政府は数々の施策を強引に推し進める前に、まず信頼を得ることが大事かと思います。信頼がないままに、どうして大事な税金を預けられましょうか。
一方で自分たちは一種の「経済病」に陥ってはいないでしょうか。「経済」はもちろん大切なことですが、手段であり目的ではありません。あまりに経済が停滞することに恐怖心を持ちすぎているような気がします。

経済の発展がイコール人の幸せではありません。それぞれが謙虚に、慎ましく暮らしていければ…そんなふうに思います。

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