風猛山 粉河寺

風猛山 粉河寺

西国三十三所第三番札所の粉河寺は、根来寺から東へ8kmあまりの場所にあります。


創建の由来を記した鎌倉時代の絵巻物「粉河寺縁起」が国宝に指定されていますが、現在は京都国立博物館に寄託されており、今回の1番のお目当は庭園です。

赤い大門をくぐった先に見える、連なったお堂の屋根が、西国三十三所の中でも最大級と言われる威容を示していますが、これらはすべて1585年の秀吉の紀州に攻めによる全山焼失以降に作られた、比較的新しい江戸期のもの。さきほどの「粉河寺縁起」にも、この時の焼損がみられるそうです。

南向きの大門をくぐったあとに、本坊の手前でググッと右に参拝コースを変えることから、あるいは本坊の裏手の土地に、かつて平安期には存在したという七堂伽藍の跡があるんじゃないかと、あとでいろいろ調べてみましたが、まったくそれらしい資料は見つかりませんでした。

風猛山 粉河寺

コースを進んだ先にある西向きの中門は、約60年にも渡って建てられたとされ、掲げられる扁額は10代紀州藩主、徳川治宝によるもの。この中門をくぐると、左手にお目当の枯山水庭園が姿を現します。

粉河寺 庭園

1枚目の画像を見るとわかる通り、石組みは本堂の立つ場所との段差に設けられ、本来は土留のための石垣となるところ、紀州産の青石を使ってこのような豪壮な石組みで仕立てられました。

このような構成は他に例がないそうですが、その素晴らしい構成力と存在感に圧倒されます。とてもよく手入れされているのもマル。

粉河寺 庭園

この石組みは階段を挟んで約50mに渡って展開されており、その作風から桃山時代のものという見方がなされ、立札にもそう書いてありますが、豪壮さの中にも緻密でまとまりがあり、品の良さも感じるところから、京都の庭師による江戸時代の作庭説に軍配をあげたいと思います。お寺って由来の箔付けになにかと古いものにしたがりますよね。

粉河寺 庭園

上の画像は石組みを本堂側から見たものですが、「ウラっぽさ」はなく、ここだけを見てもきちんと構成されていることに感心します。

粉河寺 本堂

個人的には庭園がすっかり主役になってしまいましたが、こちらが本堂。総檜で入母屋屋根を上下に重ねた八ツ棟造りと呼ばれる複雑な構造らしく、紀州藩の肩入れようが伝わってきますが、どうも江戸期の仏堂は凝れば凝るほど仏堂らしい雰囲気とは遠ざかっていくような…。

産土神社

本堂向かって左奥の産土神社では、巫女さんがドイツからの観光客に舞を披露していました。

このあと、さらに紀ノ川沿いを東進して五條の街並などを尋ねてみたかったんですが、この時点ですでに午後1時を回ってしまい、次回の楽しみとすることにしました。

粉河寺からは京奈和自動車道を走りますが、大和郡山まではいかず、大和八木から室生寺方面へ進み、室生寺からは以前通ったことのある広域農道を通って小倉ICから名阪国道に乗りました。

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