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足立美術館の庭園日本一に異議アリ

さぎの湯荘を8時半にチェックアウト、斜め向かいの足立美術館へ。

日本庭園と呼べない足立美術館

庭好きとして、ここを訪れるのを楽しみにしていました。夜のうちに雨が降ったようで、道はまだ濡れており、少し霧がかっています(画像は前日のもの)。

日本庭園と呼べない足立美術館

足立美術館は、地元出身の実業家、足立全康氏が、自身の生家だった土地を利用して1970年につくられたものです。横山大観をはじめとする日本画を中心に所蔵する一方、米国の日本庭園専門雑誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」による日本庭園ランキングで13年連続で1位を獲得し、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」でも三ツ星を獲得している枯山水庭園が、大きな目玉となっており、今回のエントリーでも展示作品ではなく、庭園について紹介したいと思います。

さぎの湯温泉で宿泊したおかげで、通常の30分前より入場できますが、チケット購入時に忘れずに帰りのシャトルバスの整理券をもらっておきます。シャトル”バス”とは言え、マイクロバス程度の小さな車両ですので、とくに米子直行便のような便利な便の場合、あとからでは乗れない可能性大です。

日本庭園と呼べない足立美術館

館内に入り、まず現れるのは「苔庭」です。この「苔庭」から「枯山水庭」を経て「白砂青松庭」まではつながっており、「苔庭」はあたかもプロローグのような感じで出迎えてくれます。手前の石橋がしっとりとしていい感じ。奥の建物は茶室「環翆庵」。傍には足立全康氏の銅像と、「庭園日本一」の石碑が誇らしげに立っています。

日本庭園と呼べない足立美術館

そしていよいよメインの枯山水庭ですが、これはすごい!借景の取り込み具合が秀逸で、今日のような霧がかった日にはその効果が一段と感じられます。遠くに見える山は勝山で、毛利と尼子の合戦で毛利氏が本陣を張った山だそうです。また、園内には枯葉ひとつ落ちておらず、細部にわたる完璧な維持管理の成果がそこにありました。

日本庭園と呼べない足立美術館

ところがどうでしょう、この庭園には驚きはあっても、感動というか、精神に訴えかけてくるものは希薄と言わざるを得ません。音楽でいうと「録音はいいんだけど…」という感じでしょうか。もちろん精神性ばかりが日本庭園ではないと思いますが、ちょっと飽きやすそうに感じてしまいます。

日本庭園に限らず、日本の文化はその根底に自然の循環における人の営みがあります。それは日本の風土からくるもので、理屈ではなく日本人が概念として持ち合わせていたものと言え、自然と共存する知恵を与え、ひとのあり方を体得させてくれるものであっただろうと考えます。

日本庭園と呼べない足立美術館

それらは根本であるがゆえに、社会が形成されるにつれてつい置き去りにされがちですが、庭園や建築などの日本文化に接しては和み、あるいは襟を正して、あるべき姿を取り戻していたように思います。

日本画の世界でも、直接的ではないにせよ自然を尊重するエッセンスが感じられるものがあると思いますし、奇しくも現在、千葉市美術館で開催されている「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」では、ピーター・F・ドラッカー氏の「正気を取り戻し、世界への視野を正すために、私は日本画を見る」という言葉が紹介されています。

日本庭園と呼べない足立美術館

「庭園もまた一幅の絵画である」と、横山大観の絵を模した足立全康氏でしたが、取り込むべきはその日本人らしいエッセンスではなかったんでしょうか。ただ模したというだけでは、人と対峙できるだけの要素も感じられず、ドラッカー氏の言う「正気に戻る」力もありません。

屹立した石組にそぐわない、緩やかで単調すぎる芝の汀は、絵画を意識しすぎたのでしょうか、水面にあたる砂利敷きの部分もまるでプールのように動きがなく、雄弁なはずの松の木も力強さに欠けるなど、凝縮された自然のリアリティを感じません。それもそのはず、ここは木が成長すると、太くなり過ぎて庭園のバランスを崩すという理由から、園外の「仮植場」に大量のスペアを用意しており、植え替えてしまいます。

日本庭園は作庭が四分、維持・管理が六分と言われますが、ここでいう「維持・管理」は「すげ替え」ではないはずです。庭園の要素の6割を自ら放棄してしまい、4割の作庭にしても枯山水の手法に「見立て」が通用していないばかりか、単純に完成した形を崩さないための手段として使われているだけのようにも感じます。

石組はいいと思うので、試しにできるだけ芝の汀を入れずに、石組とクロマツを中心に撮ってみました。

日本庭園と呼べない足立美術館

続いて白砂青松庭、横山大観の「白沙青松」をモチーフとして作られたものだそうです。こちらは実際の川がある分、より日本庭園らしい味わい方ができますが、松の立ち姿は相変わらずです。しかも奥に見える鶴亀の滝は1978年に開館8周年を記念して開瀑した高さ15メートルの人工の滝で、ポンプで汲み上げているそうです。この滝は県道に出ると画像の通りで、種明かしを見せられるようでちょっと興ざめ。

日本庭園と呼べない足立美術館

ところでこれだけ広大な庭園、さぞ多くの庭師を抱えているかと思いきや、わずか7名の少数精鋭だそうです。その完璧な仕事ぶりは確かに賞賛に値しますが、庭そのものの理念や成り立ちが、それに見合っていないのはとても残念なことです。利休の庭掃除のエピソードも、決して知らないわけではないと思います。

そもそも真正面から庭園作りに取り組まれたものであれば、ガラス越しの鑑賞などはまずありえません。ガラス自体はとてもきれいに磨かれていますが、日本庭園は目だけで鑑賞するものではないはずです。「商品」として作られた以上、仕方のないことかも知れませんが、このように足立美術館の庭園はどこかズレてる感覚がつきまといます。この庭園がダメとか、見るに値しないということではなく、ここは「日本庭園」ではなく、「日本庭園”風”庭園」というか「巨大ジオラマ」として見たほうが納得できるように思います。

日本庭園と呼べない足立美術館

そもそも、この庭園には「昭和の小堀遠州」と謳われた中根金作氏が関わっているはずですが、公式サイトやパンフレットのどこにもその名前は見当たりません。名前を出せないほどわずかな監修程度だった可能性もありますが、著名な作庭家の場合、少しでも関わっていたり、関わったらしいという言い伝えがあるだけでも、付加価値を高めようと紹介されるものです。結構当初関わっていたものの、意にそぐわない要求が多すぎたため、「庭としてまとめるけども、もはや自分の意図したものではないので、作庭家としては名前を出さないようにして欲しい」と言われたのかと想像をしてしまいます。

日本庭園と呼べない足立美術館

日本文化と呼ばれるものの中には、海外に評価されることで価値をアピールする傾向も見られますが、日本人には日本人の心の目があり、「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」ではないけれど、海外の日本文化評というのは往々にしてこのようなものなのかも知れません。

最後にこの足立美術館、期待していなかったのもありますが、結構いい日本画がありました。ただ、庭園目当ての団体客が多いためでしょうか、よく言われていることですが、とにかく美術館らしからぬウルサさ。もしかするとウルサい美術館日本一かもしれません。

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Categories: Garden

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6 Comments

  1. 初めまして 今晩は NHKでまた 足立美術館が 世界的に絶賛されているのを 目にして ネットに 誰か 何か 訴えておられないかと 探して 見つけ
    お邪魔しました
     同感です < ジオラマ >ですね 同じ樹木の 準備 フン 笑わせてくれるね

    京都の 古くからある 名庭園 我が町の お寺『小堀遠州』作を 幼い頃から見ている
     田舎のおばあちゃんにとって いい記事にめぐりあえて 安心しました
    どうも おおきに

    • Kahan

      2018年6月21日 — 11:33 PM

      田舎のおばあちゃん様
      わざわざコメントありがとうございます。自分もどれほど凄いのかと楽しみに訪れただけに、その落差につい批判的なエントリーをしてしまいましたが、お庭をよくご存知の方に賛同していただけて心強い限りです。
      先日も庭師の方と立ち話になって、足立はちょっと…といった話になりました。あれだけの場所、もったいないですね。

  2. 2018/08/03 一度は見ておかないと・・・と訪れました。

    でも日本一の日本庭園,というキャッチコピーに期待しすぎたせい。
    こちらのブログの言葉をお借りすれば「感動が薄かった」のが正直な感想。
    自分の中では,好みの庭園〇選には入らない庭園です。

    植物・石を素材とした人工物。確かに綺麗な造園だし,行き届いた手入れではあるけれど・・・商業ベースにのせたジオラマ。

    他の日本庭園との比較評論は差し控えますが,海外の方にこれを日本の心がやどる庭園だと思ってほしくない,というのが自分の想いです。

    こちらに書いてある事に共感する,自分の思いと同じ想いが相当あるので,コメントさせていただきました。

    • Kahan

      2018年8月4日 — 10:45 AM

      神埼様
      コメントいただき、ありがとうございました。
      こういった庭園ができてしまうことじたいは仕方ないと思うのですが、それをよくわからない海外誌が持ち上げたのを鵜呑みにして喜ぶ日本人…というのがなんとも残念な構図です。
      エリザベス2世の龍安寺、タウトの桂離宮、フェノロサの薬師寺三重塔など、ガイジンさんの評価に弱いですね、ニッポンジンは。

  3. ただ今テレビで足立美術館を見て検索中にこちらを読みました。 いつかは行ってみたいと思っていましたが、その必要のないことをこちらで知りました。有難かったです。

    この庭園が好きな方もいらっしゃるでしょうし、それはそれで素晴らしいかと思いますが、私の行きたいところではないと拝読し感じました。

    見た後に襟を正したくなる、、という表現、素晴らしいですね。そして日本の自然の循環を感じるものというもの。
    ドイツに長く住む幼なじみが、ドイツで美しいが作られた自然に時としてしっくりこないというようなこと漏らしていました。

    クールジャパン、、、それは人それぞれでしょう。語弊があってはいけませんが、真の日本美が残ってほしいです。
    ただ最近感じるのは、日本人自体にそのセンサーが今どの位あるのかなという気持ちも。
    東京のビルも多く建て替わリつつありますが、一つ一つのビルから攻撃的な感じがするのです。街としてのハーモニーがが、、というのは現代についていけない人間の戯言かも。

    すみません、つい、こちらのサイトで素晴らしい表現に接し嬉しくなりお邪魔致しました。 美しい日本の美、建物も心も。残ってほしいです。大好きだからこそ。 自分の衿も正しつつ。

    • Kahan

      2018年8月20日 — 1:31 PM

      あじさいさま、コメントいただきありがとうございます。
      私も近年の建築が威圧的に感じることがあります。それも多くのデザインのひとつではあるのですが、こういった造形が好まれてきていることに不安を覚えます。
      自然には、普遍的な倫理観を教えてくれる力があると思うのですが、優れた庭園からもそういったものを感じることが少なくありません。座右の銘のように自分の近くで長く残したいという庭園があるとすれば、足立美術館はそもそものなりたちからボタンをかけ間違ってしまったように思えて残念です。でも、こういったことを考えさせてくれたり、貴重なコメントをいただけるきっかけとなったことには、感謝しなくてはいけないですね。

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